かちがわ通信

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ザモール春日井閉店

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1977年開店当時の春日井西武です。その後、右側のカーテンウォールがステンドグラスになりほぼ同じ面積が増床されザモール春日井になります。屋上に「SEIBU」の看板がありますが、真ん中の「I」の背景色が、西武百貨店は赤、西友は緑とも・・・真偽の程は分かりません。写真をお借りした(無断拝借ですが(-_-;))加藤様のブログを拝見しましたが、東京資本の百貨店が名古屋の4Mに阻まれ出店できなかったことから、関東圏から高蔵寺NTへの入居した顧客相手にこの場所を選んだと書かれています。事実、当時の外商から「松坂屋より西武百貨店の方が馴染みがある」と言われるお客様が多い話を聞かされた記憶があります。開店当時、地元春日井から23店舗程の専門店が出店しました。この専門店会の会長をされたのが、かちがわ薬局の松浦清さん(故人)です。当初、大型量販店としての計画を百貨店業態に変えさせたのもこの人。東京の本社に乗り込んで切々と訴えたそうですが、考えて見れば、当時の松浦さんは40歳代。まだ大店法が機能していた時代とはいえ、凄まじいパワーと先見の明には頭が下がります。先ほどの加藤様のブログには「追加変更工事があり開店が半年伸びた」とあります。予算も含めて当時の幹部が良く承認したと思いますが、そのせいか開店当初の店長は、本社の常務取締役が就任されていました。いまでも良く覚えていますが、田舎の専門店が23店舗。兎に角指導が厳しく、店長、部長が店舗の前を通る度に全員の背筋が伸びていました。オーナー会議でも全店の売り上げが一覧になっていて全員に配布。そういった厳しさがあってこそ、この施設が支持されたんでしょうね。本当によく繁盛した店舗でした。

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開店して15年後の1992年、増床してザモール春日井と名称が変わりますが、未だに「西武」へ行ってくるというくらい当初の印象が強く「ザモールに行く」という人はそんなにはいないと思います。この辺りの名称の変更は出店していた店舗にも本当に分かりづらく、ザモール春日井という館の中に春日井西武と専門店がという立てつけなんですが、この春日井西武がリヴィン春日井に変わった辺りから、来られるお客様からも「どうなっとるの!」と良く質問がありました(笑)まあ、本部の意向なんでしょうが、本部がMDを整理する度に分からなくなっていくという典型的な例です。ステンドグラスやドライブインシアター等々この地方初の施設もあって良かったんですが、何年頃だったか忘れましたが、ある年のお正月にジャージ姿を見かけるようになり、店の格が落ちていくのを実感しました。極めつけはウォールマートw 雑貨売り場の店頭に安物の傘が山積みされていた日には完全にアウト。また例えば女性用の寝間着は数万円のがあるのに男性用は数千円w MD(マーチャンダイジング)の欠落。知り合いの社員に話すと「もう本部の意向だから」と肩を落としていました。店舗への愛着を失った店はもう無理です。今回売却のプレスリリースが発表されましたが、本当にお金を掛けた造りだけに壊すのは如何にも「もったいない!」と感じます。今のイズモ葬祭の場所での木下サーカス、周年記念で招待したヘリでの遊覧飛行、年2回テナント会の総会で訪れた全国各地等々 思い出は尽きません。