かちがわ通信

春日井市勝川発のまちづくり情報発信中!! 自立分散型、みんなでやらないまちづくりに取り組んでます

続:商店街の再生会社設立へ

昨日の書き込みへコメントを頂きました。恐らく大半の市民の感情からすれば、その通りだと思いますが、大切な部分なので、改めて私の考え方を書かせてもらいます。

まず、最初に 助成金血税を投入する事を本当に市民に知らせてるのでしょうか?と言う部分ですが、これは行政の問題ですし、個別具体的な税金の使い道が公開されているのか不明ですのでノーコメントにさせていただきます。

次に>特定商店街を復興?下支え?する為の血税支援が本当に市民に理解されるのでしょうか?という部分ですが、その前に商店街が衰退していった理由を少し考えてみましょう。
商店街の全盛期は昭和30年代から50年台前半にかけてですが、既にこの時には商店街と大型店が対抗する構図が出始め、大型店の売り場面積、営業時間等を規制すれば、商店街が生き残れると考えられ「大型店舗規制法」が施行されれました。しかし、この法律も米国からの圧力で廃止になり、その後、まちづくり三法が施行されましたが、いつしか商店街VS大型店から大型店同士の戦いになり、相対的に、各地の商店街は衰退していきます。
その理由はいくつかありますが、1)都市の構造変化(郊外化・車社会の出現)2)消費者のライフスタイルの変化 3)商店街の意欲低下 4)利用者にとっての魅力低下 5)政策のマンネリ化等ですが、今にして思えば、誰も(国も、自治体も、市民も)都市をどうするかという明確な意識を持っていなかった事が一番大きな理由だったかもしれません。


確かに都市の中で商店街の存在意義は大きかったものの、商店街は都市の一部、都市・社会構造等が大きく変わっていく中で、本来的に言えば、商店街だけ変わらずにいられることはできない事に、もっと早く気が付くべきだったかもしれません。都市と商店街との関係をしっかり考えて手を打つことがなされないまま中心市街地だ、TMOだ、商店街だといわれても、「実際、大型店の方が努力しているし、便利で魅力もある、やっぱり商店街はダメなんじゃない!」と思われても仕方がないのかもしれません。「大型店さえなければ」と、自らの努力を怠った商店街の問題は、実は自らの中にあったと考えています。

しかし、個店の問題は後で書きますが、商店街の衰退は同時に地方都市における地域力の低下に繋がってきます。 実はこの点で行政が、血税を使っても、商店街の問題に関与せざるを得ない理由があると考えています。
地域力の低下は、地域を見守る人がいなくなる、買物の場所がなくなる、商店街が主催・協賛してきた祭りや伝統行事やイベントがなくなると、そのまちは荒れ、夜の街を照らしてきた街路灯も消えれば、犯罪も多発するといった現象に現れて来ます。従って、一昨年、政府が打ち出した骨太の方針に謳われた「地域コミュニティの核、都市の顔」としての商店街が望まれているのであれば、市民と商業者、地権者、関係者等々そして行政が協働して、また多くの分野の専門家も一緒になって“新しい商店街づくり”に取り組むことが必要だと思いますし、今回の補助金血税)は、その為の先行投資と考えれば、市民にも納得が得られるのではないでしょうか。もちろんこれを受ける鳥居松三商店街の責任は決して小さくない事は明白です。

サービス経済化が進み、ネットショッピングも増え、かつてないスピードで社会構造が変化している中で、商店街全ての、あるいはかっての商店街の復活はありえないことは承知しています。しかし、かつて、日本は商店街の国で、ある面では欧米よりも進んでいた面が多かったかもしれません。その欧米では、衰退しスラム化した“場としての商店街”を、どんどん再生し、都市や地域に賑わいを取り戻しています。個人的な意見かもしれませんが、是非、鳥居松だけではなく、私の勝川を含む春日井の商店街で復活を実現したいと思いますし、この事が春日井市民にとっても健全で暮らしやすいまちづくりのための象徴的な姿だと考えます。


>商店街は個人商の集まり。個々の商店主が責任を持ち自己努力で解決するが正しい良識であり方向性だと思われませんか?今回の助成金補助のあり方に市民として疑問を感じてます。
補助金助成金)の在り方については、先ほど書きましたので割愛しますが、商業コンサルの中でも「個店が活性化すれば商店街も活性化する」と言っている人がいます。もちろん、個店が繁盛する事は大前提で、この為の努力は絶対必要です。私は良く「昔の商店街の肉屋さんのコロッケは何故美味しかったのか?」という表現を使いますが、昔の肉屋さんは牛を半頭毎仕入れ、大きなフックに吊り下げ、包丁で捌き部位に分けて販売していました。勝川にあった三軒の肉屋さんでもよく見られた光景ですが、その骨に残った肉を更にこそぎ、ミンチにしてコロッケを作っていたため美味しかったんだろうと思っています。しかし、今となってはそれだけの販売量も無く、捌かれた部位が、段ボールに入れられ納品されますので、必然的にコロッケも出来合いのを仕入れ、揚げだした所に差別優位性も無くなり売れなくなって言ったんだろうと思います。もちろん、肉屋さんがデリカテッセン(総菜屋)になるのには、法律の壁もあったとも聞いていますが、靴屋さんでも「足が痛い」と言えば、型を入れて革を伸ばし、足に合わせてくれました。これは一例ですが、将に商店街は製造販売の場であったのが、流通革命と言う流れの中で、商品を仕入れて販売するだけの流通業者に成り下がったのも衰退の原因だと考えています。流通だけでは大手にはかないません。
私は、街の人に必要とされるかは、個店が地域に無くてはならない存在になる事、将に自己責任の部分体が大切ですが、地域の住民にとっても、新鮮な野菜や魚を売っている店や美味しい肉を売っている肉屋のある街の人は、幸せだと思っています。しかし、この価値観をを計る物差しを失くし、実は今は「お金」=「安さ」の時代で、チラシを眺めながら一円安くても自転車で飛び回る姿は、不況と言われる昨今、仕方がないのかもしれませんが、結果として、地元の商店や小さなスーパーが倒産、廃業し、買い物難民という言葉さえ聞かれ社会問題にもなっています。(先日も牛山地区の方からコメントを頂きました)
私は○○クロでは買い物をしません。あの店の商品の殆どが中国で作られていることを知っているからです。地元で買える物は地元で、日本で作っている物は日本製をという相互扶助の精神は、決して商人を甘やかす事ではなく、文句を言う事が、店を育て地域の為になる事を確信していますし、経済性、効率性が、結果として世の中のコミュニティの崩壊にも繋がり自分の首を絞めている事に私は気が付くべきだと思っています。

従って、個店の問題を、個々の商店主が責任を持ち自己努力で解決すると言う部分は、正しい良識とは思いますが、それと同等に、この問題を個店のせいだけで解決するとは思えず、街全体の問題と捉え、是非今後とも皆さんと一緒になって考え続けていかなくてはと考えています。

長文で失礼しました。
なお文章の一部で、私の尊敬する三橋先生の表現を引用しています。