かちがわ通信

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お盆休話パートⅡ

お盆も終わりちょっと一息ついた一日でした。我が家は禅宗系の臨済宗ですが13日に迎え火を焚き送り火をする15日まで朝昼晩と仏様の食事を用意します。私はお参りをするだけですが、仕事の合間を縫って忙しなく準備する奥さんは大変です。
お盆といえば14日の新聞に潮見坂の平和公園にお墓参りする人が多いとの記事がありました。先ほど書いたように我が家は禅宗ですが、 昔から、ご先祖様はお盆には家に帰りお墓にはいないことになりますので、お墓参りはしないと教えられてきました。もちろん宗派によって違うんでしょうが、本願寺系は元々お盆はありませんので、こういった記事を見ると不思議に感じます。 また、お隣の多治見では7月に行いますし、送り火も京都大文字焼きは今日行われていました。地域によって考え方も作法も違うようですが
、一年に一度ご先祖様に心を寄せるという意味では貴重な歳時記と言えるんでしょうね。

先日、葬儀社に出入りしている花屋さんと話をしていましたが、人が亡くなると死亡診断書を市役所に提出し埋葬許可をもらいますが、最近は、そのまま、火葬場に遺体を運び、お骨も海川や山で散骨する人が増えたと言っていました。つまり、葬儀も一切行わずお墓もなく供養もしないようです。さっぱりしていると言えばそうなんでしょうが、裏を返せば宗教や慣習への決別なんでしょう。特に最近の仏教は、葬式と法事だけとも言われていますが、施餓鬼法要の時に配布された「恵日」という冊子で、遠藤臨済宗東福寺派管長が東北大震災のボランティア活動をされた若い僧侶が「自分たちが如何に世間知らずだったかを痛感した」「寺はもっと積極的に社会にコミット(関与)していくべきではないか」「葬式や法事を勤めることは大切だが、それだけでいいのだろうか」と感想を漏らしていることを受けて「寺は歴史的にも地域統合の象徴的場所(地縁)にあり、檀信徒にとっては、夫々の家代々のルーツ(血縁)である。それ故に、寺にはお役所仕事ではない、血の通った”苦を共にして寄り添っていく”道を作る素地があるはず」と書かれています。本来のお寺の役割だと思います。

宗教である以上布教活動(営業活動?)が大切ですが、お寺さんといえども住職という管理職になると守りに入るのは、会社の経営者と同じかもしれませんね。