かちがわ通信

春日井市勝川発のまちづくり情報発信中!! 自立分散型、みんなでやらないまちづくりに取り組んでます

商店街の歴史地理

今日の午後、中部大学人文学部歴史地理学科の学生さんが、商店街の事を調べたいと店に来られました。先日の弘法市でも来街者に直接ヒアリングをしたようですが、歴史地理学科で何を商店街で調べるのか分かりませんが、兎に角出来るだけ時系列にまとめて話をさせてもらいました。
1900年(明治33年)に国鉄中央線が名古屋、多治見間に開業され、同時に勝川駅が開業された事はご存知だと思います。それではこれ以前の春日井の商業の状況はといえば、ほとんどが農地で、下街道沿いに点在していた程度と春日井市史に書かれています。従って、将にこの中央線の開業が春日井の商業の夜明けとも言えますが、勝川の場合は、明治初期に、それまであった春日井郡が二つに分割され、東春日井郡となり、その郡役所が現在の勝川4丁目あたりに設置されます。しかし、中央線の開業に合わせて現在の勝川幼稚園の場所に移されますが、この郡役所を中心に自然に街が形成され、再開発前の街並みは昭和10年頃整ったようです。その後、戦前、戦中、戦後を通じて街は発展し、昭和40年代から50年代はじめに最盛期を迎えます。
その後昭和52年の当時の春日井西武(現:リヴィン春日井)の開業から大型店との競合時代に突入。相対的に市内の商店街が寂れていきますが、それでも勝川は柏井町のジャスコが出来るまでは、何とか維持することが出来ました。この理由は、どちらかと言えば勝川の消費者は名古屋に目が向いており、車が必要な市内の大型店より、JR、地下鉄で約30分で栄に行けますので、あまり影響はなかったのかも。いわゆる川下理論かもしれません。