今年の弊店のカレンダーです。『和顔』には『おだやかな表情』、『愛語』には『心やさしい言葉』という意味があります。 つまり“和やかな笑顔と、思いやりのある話し方で人に接すること”という仏教(曹洞宗)用語だそうです。いつもの名畑ちゃんからのお薦めでした。コロナ禍でこころがドンドン荒んできますので良い言葉を選んでくれたと感謝しています。
さて、2日は奥さんの実家のお墓参りと実家への挨拶は例年通り。3日の今日はいつもは大須界隈をぶらつくんですが、人込みを避けてということで、まずは多治見の虎渓山永保寺へ。写真は国宝観音堂です。この寺には何回か来ていますが、夢窓国師作の名勝庭園との景観はいつ見ても素晴らしいですね。臨済宗南禅寺派の寺で本堂は18年ほど前に火災で建て替えられていますが、いまでも禅の修行に励む僧が多くいるようです。
高校生の頃この寺のすぐ下に同級生の自宅があり仲間の数人で泊まりに来たことがあります。早朝家を抜け出しこの寺までくると、まだ暗い本堂で修行僧が経を読む姿を、この庭園越しに見た印象が強く残っています。さて、その後、土岐市妻木の崇禅寺です。
ネットで検索して見つけたんですが妻木の山間にこんな立派なお寺があるなんてビックリ。1354年初代妻木城主土岐氏の菩提寺として建立。この山門は妻木城士屋敷から移築された様です。
山門をくぐって石段の上にあるのが鐘楼門。こちらも茅葺の屋根が立派です。
本堂に入ろうと思ったんですが、誰の姿もなく流石に断念w
この石段の上の門は、歴代妻木城主の菩提を弔うべく廟所の様ですが、本堂から至るまでの回廊(右側)がこれまた立派。僅か30分ほどの滞在でしたが、なかなか良いお寺に来られたと満足でした。
春日井の内津神社の庭も夢窓国師作とされています。そこでWiki先生に聞いてみたところ、夢窓国師(疎石)は、鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧・作庭家・漢詩人・歌人とあります。確かに今日訪れた2つの寺は臨済宗のお寺。ただ、この地方に何故か多い足跡を調べてみると、各地に招かれ、その土地で寺を建立していきますが、土岐氏にも招かれ「西遊して正和3年(1313年)美濃国に古谿庵、翌年に同地に観音堂(虎渓山永保寺)を開いた」とあります。多分、この地に滞在中、周辺でも作庭していったんでしょうね。それにしても中国・元にも渡来したり精力的な活動には驚かされます。