かちがわ通信

春日井市勝川発のまちづくり情報発信中!! 自立分散型、みんなでやらないまちづくりに取り組んでます

春日井に鉄道がやってきた

午後2時から商工会議所地域開発委員会を開催。最初に今朝の新聞に載っていた県税収入の落ち込みは、法人県民税の20%をトヨタ一社で賄っていたことが大きな要因である事や政局の話をさせていただき、この委員会は地域(春日井)を元気にする目的があるのでよろしくと挨拶をさせていただきました。その後「かっちぃ」の現状報告と地域コミュニティーFM事業小委員会のの経過報告をした上で検討を凍結し、比較的廉価で実施できる地域SNSへの移行を説明し承認いただきました。また、プレミアム付地域振興券の件についても意見をお聞きしましたが、工業の方が多いせいかピンとくる人は少なかったようです。しかし、岡山県総社市が三菱の車を買った人に10万円プレゼントしている件や、豊田の商店街がトヨタ車を買った人に2万円のキャッシュバックをしている件など、アイデア勝負になってきており、地域内の消費をどう喚起していくかが、都市間競争のポイントになってくると話をさせていただきました。

fe54e356.jpg委員会終了後、市役所の1階ロビーで今日から開催されている「春日井に鉄道がやってきた」~中央線の歴史~を見に行ってきました。以前にも書きましたが、まことしやかに噂として流れていて、自分達も信じていた「坂下地区では、列車の煙が養蚕業に良くないので反対運動がおこり高蔵寺を通過する事になった」とか「当時の勝川の中心(現在の太清寺付近)で反対運動がおこり、影響の少ないと考えられた現在の場所に駅が出来た」という話が「嘘」であることも、現在のルートに決まった経緯が、当時の町史や帝国議会の議事録などから、また、勝川町会からの陳情書(逆に太清寺付近の方が便利で利用しやすいので考えなおしてくれ。土地も安く提供するという内容)が展示され、説明されています。
また、明治25年6月に鉄道敷設法が議決されると、中央線敷設の誘致合戦が起こり、飯田から瀬戸を抜けるルートや多治見から小牧を経由するルートもあったそうですが、各地の誘致合戦にも関わらず明治27年に、現在のルートに決定されたそうです。面白いのは、あまりに誘致合戦が活発になったことを受けて、鉄道庁長官名で「地方有志からの賄賂や飲酒の同席を禁止」という内訓も出たようです。これを見ても、養蚕業に悪影響どころか、鉄道敷設に町の将来を期待した各地の様子が見て取れ、今の「まちづくり」にも似たものを感じます。

紆余曲折の後、明治33年(1900年)に開業されますが、開通式当日の様子も、勝川町役場の日誌に書かれており「(前略)午後からは花火や歌・踊り、寄り合い相撲、狂言などが行われました。(中略)松河戸新田(現在の松新町)からは折詰やお酒などが出され午後7時までにぎわいました」と書かれています。私の店の創業も1900年。「勝川駅が出来るのを目当てに、駅前で飯屋を始めた」と先祖から聞いていますので、ひょっとしたらこの折詰を作ったのかもしれません。

会場には何点かの写真も展示してあります。しかし、勝川、高蔵駅関係は少なく鳥居松(現春日井)駅のものが多いのですが、開設された年代が、勝川、高蔵寺は明治33年、鳥居松駅はそれから27年後の昭和2年ですから仕方がありません。また、春日井市内で3番目に出来た駅が定光寺駅というのも、意外ですが、観光地として利用が多かったためだそうです。
会場には当時のジオラマも作ってあり、楽しくためになる企画展です。是非、一度ご覧ください27日の金曜日までやっています。