かちがわ通信

春日井市勝川発のまちづくり情報発信中!! 自立分散型、みんなでやらないまちづくりに取り組んでます

風格のあるまちづくり

今週の月曜日現在の参加登録件数を聞きましたが、思ったほど数字が伸びていません。目標千店と広言していましたので、ここ数日、知り合いに電話をかけまくっていますが、中には事業そのものを全く知らない人や聞いていても理解が足らない店も多く、一昨日も書きましたが、説明すると「そう言う事なら」と参加を申し込んでくれます。本当に情報が伝わらないもどかしを感じていますが、そうも言ってられませんので、何とか少しでも目標に届くよう明日も回って来るつもりです。
商店街の代表者会でも同じように説明をしても、理事長の熱意で件数が大きく違っています。勝川や高蔵寺では参加費を組合で負担し、全店登録してもらっていますが、各商店街もそれぞれ事情もありますので、そこまで行かなくても、何とか説得してもらうよう明日にもお願いしてみます。

さて、今日の昼に日本甲冑武具研究保存会の理事をしておられる小川さんにお越しいただきました。小川さんは犬山市甲冑工房の甲冑師として展示や製作の指導などをされ、また、戦国時代の合戦の研究家として有名な方です。特に徳川家康の「勝川具足※」に注目され、後の「関ヶ原の戦い」へ大きな布石となった「小牧長久手の戦い」を、勝川近辺で是非再現してみたいと言われ、その為に弘法市で甲冑隊を披露し愛好家を増やしたいと相談にみえました。春日井市にも甲冑の愛好家がいるようなので、その方と相談しながら進めていくことにしました。

もちろんこの背景には「まちづくり」が関係してくるんですが、こういった精神性をバックボーンにした商店街は絶対廃れないとの考え方です。小川さんをご紹介いただいたIさんも「効率性、経済性だけを追求した大型店はよくもって20年」といつも言われています。風格のある、また重みのある街を作っていくには重要な点だと思っています。

※勝川具足
天正12年(1584)4月8日、徳川家康の軍勢約9千人は小牧山から長久手へ向かって、霧の中を進んでいた。如意を経て勝川に入り、龍源寺(現太清寺)を始め村の一帯で休憩した。「ここは何という所か」とお尋ねがあったので、道案内の庄屋甚助が「勝川村にござります」と申し上げると「勝川とな、これは吉祥、縁起のいい名だ。この戦はきっと勝てるぞ。早速、旗竿を切れ」と命じて、鎧兜を締め直して武具を整えて出立し、見事勝利をおさめた。このことをきっかけにして、勝川は勝利を呼び込む縁起の良い地名として有名になり、勝川の名称を付けた品である勝川竿、勝川具足、勝川石が誕生した。 (春日井市HPより)