かちがわ通信

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伊勢湾台風50年

今、考えても死者・行方不明合わせて5千98名という最悪の数字は、この台風の凄まじさを物語っています。昭和34年9月夕方に紀伊半島に上陸、愛知、三重は、風もさることながら満潮時と重なったため高潮が襲い、この濁流で流され被災した人が多かったようです。私は当時小学校の一年生。はっきりとした記憶はありませんが、当時は、台風による災害も頻繁にあり、国道19号(現県道内津勝川線)の勝川駅前の信号角にあった店舗も、床上浸水はありませんでしたが、何度か床下まで水に浸かった事がありました。また、台風が来る度に、父親が入り口や窓に戸板を立て、釘で板を打ち付けていましたので、どの台風が伊勢湾台風だったのか、どうも記憶が曖昧です。映像として記憶にある場面は、多分その後のテレビ報道や写真報道で刷り込んだ様な気がしますが、母校の野球部が、屋根に取り残された人に舟から、握り飯を投げて回った等まつわる話は限りなくあります。また、当時、勝川小学校で教鞭を取られておられたH先生は「この台風で教え子を一人亡くしたのが、今になっても心に残っている」と言われています。今年で50年。一つの区切りではありますが、直接被災された方々には、そう簡単に消える記憶ではありません。