かちがわ通信

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南三陸志津川福興市VOL.3

昆野さん福興市の間をぬい、今回の目的のひとつ、亡くなられた昆野さんのお店のあった場所に、お花と線香をあげに伺いました。昆野さんは商店街サミットの実行委員長をされ、以後、春日井大会にもお越しいただき、サミットが開催される度に顔を合わせ親しくお付き合いが続いていました。今回の津波で、ご両親、奥様、ご兄弟とも被災されご子息が二人残されています。

昆野さん福興市の会場で、もう一人のご兄弟とご子息を紹介いただきましたが、もう涙が止まりません。「頑張れ」と言うのが精一杯でした。その後、従兄の方に店の在った場所に案内して頂きましたが、床のタイル以外何も残っていませんでした。当日の様子も伺いましたが、津波だと分かって、従業員二人に「逃げろ」と叫んだ後、2階のご両親を連れだそうと逃げ遅れたようです。従業員の方は、たまたま通りかかった車に乗る事が出来助かったそうですが、瞬間の判断が生死を分けたと聞くと言葉も出ません。まだ、奥さんとお母さん、弟さんが不明のままで、ご兄弟は「四十九日の法要もあげていません」と言われていました。心からご冥福をお祈りします。


おさかな通り商店街その後、おさかな通り商店街にも案内していただきましたが、全く見る影もありません。この写真は山内さんの店舗があった場所です。かろうじて鉄骨だけが残っていましたが、商店街は全滅です。この建物の手前方向が志津川港です。サミットの最終日、漁協の皆さんが、アワビ等を焼いてもてなしてくれた荷捌き場の姿もありません。


志津川中学校今回、福興市に参加のために来ましたが、実はもう一つミッションがありました。春日井ライオンズクラブが被災地の子供たちに”なんでも帳”を贈りましたが、南三陸町の小中学校生に直接届ける役目です。
及川さんにご紹介いただき会場の志津川中学校の菅原校長先生に、メンバーでもある加藤会長と共にお会いでき手渡す事が出来ました。先生からは、お礼と共に、卒業式に生徒に送った言葉の原稿を頂戴しましたが、当時の生々しい様子や、大津波の8日後に志中生315名全員の無事が確認され、職員全員で喜びあったことが書きつづられています。また、偶然ですが及川さんは南三陸志津川ライオンズクラブのメンバーで、今年度会計の役職についておられました。会場には会長、幹事もお見えになっていて、今後、両クラブの間で良い関係が生まれれば幸いです。

また、会場の志津川中学校を避難所にしておられる方に、野菜やお菓子をお渡しさせていただきましたが、玉子や肉が手に入らないとの事で、急遽、ラーメンの汁が無くなったため残ってしまった麺やチャーシューも差し入れる事にしました。避難所に震災前ラーメン店をされていた方がお見えになり、スープは仕込みますからと言っていただきました。テントの中にはカップラーメンが山積されていましたが、どうも支援物資が偏っているようです。お礼にと缶コーヒーを頂いてきました。避難所の皆さんからいただくのは気が引けましたが、「帰りの車の中で飲んでください」と言われ遠慮なく頂く事にしました。また、皆さん本当に元気でしたが、ボソッと「泣きたいんだけど、泣くと心が折れるから」と言われた事にドキッとしました。実は、今回歳のせいか、知人の顔を見ても話を聞いても、何度も涙が出て1日中泣いていたような気がします。しかし、現地を訪れてみて我々が涙を流す事以上に、しっかり支えないと何も始まらない事が良く解りました。もちろん、いつまでも義援金を集める事の限界も感じていますので、支援する仕組みを日常の経済活動に組み込むことの大切さを実感しています。一部では山内さんの会社の様にファンドの話も進んでいるようですが、将に知恵の出しどころです。

帰途さて、福興市は午後2時終了でしたが、雨の中片付けに手間取り、会場を後にしたのが午後4時少し前。帰路が大雨との情報から、福島から合津若松方面に逃げ新潟に、北陸道日本海に沿って走り、上越道経由で長野へ出て帰りました。春日井着が午前4時30分。空が白々とするなか無事到着です。大きな事故も無く、無事目的を完遂出来た事が収穫です。参加していただいたメンバーには本当に感謝の一言。特に春日井ラーメンがんこ会には、現地がまだ水道が復旧していない事から、麺をゆがく水を運んでもらい、また、ゴミはもちろん、残汁まで回収し春日井まで運んでもらいました。こころからお礼を言いたいと思います。写真には疲労困憊ですが、満足感の漂う顔が並んでいます。