かちがわ通信

春日井市勝川発のまちづくり情報発信中!! 自立分散型、みんなでやらないまちづくりに取り組んでます

8月福興市(長文です)

一路仙台へ27日(土)28日(日)の二日間、8月福興市に参加のため宮城県南三陸町まで行ってきました。これで2度目ですが、今回は陸路ではなく、荷物は宅急便で送り、体はセントレアから空路仙台まで飛び、レンタカーで南三陸へというルート・・・春日井ライオンズのメンバーも同行しましたので、安全策です(笑)
しかし、各地の様子も視察出来ましたので、これは正解でした。


仙台空港 セントレアから約50分、着陸体制に入ると海沿いの景色が目に入ってきます。テレビで見た津波が押し寄せる仙台空港が思い出されますが、多分ガレキは撤去されているんでしょうが、まだまだ手つかずの状態で、ターミナルもレストランなどが、営業されておらず、今回手配したトヨタレンタカーも空港営業所が事務所と車70台全て流されたとの事で、送迎車で名取営業所まで移動します。



石巻 昼過ぎの到着でしたので、仙台市内で昼食を取り、まず三陸道を石巻に向かいました。ここでは石巻港に向かいましたが、途中、良く見ると、まだ車が家に乗りあげたままになっている家もあります。
港周辺の家屋は、殆どが被災しており、人影はまったくなし。下の写真の第5冷蔵庫と書いてある下に約5m位でしょうか津波の跡が残っています。この場所は港から2~3kmの場所です。



石巻 
港に近づくにつれ大きな工場や倉庫がありますが、どこも人影はなくそのままになっていました。石巻港日本製紙の工場も操業停止で、復旧のための工事車両が沢山走っていました。またここにはガレキや車の集積場もあり大きな山が出来ていました。





女川そのまま三陸道に戻り、今度は女川に移動。原発が気にはなりましたが、時間の関係で街の中を見て回ることにしました。ここでは4階建てビルが基礎部分のパイルごと真横に倒れていてビックリ。津波の力の凄さをあらためて認識しました。状況はかなり悪かったです。




女川
 丁度満潮時と重なっていたためか、どこの街も海水が街の中まで押し寄せ水びたしになっています。聞けば海岸沿いが、全て約70cm地盤沈下しているようで、これをどう解決するのか、素人の私には想像もつきません。また、海岸沿いには気仙沼線が走っていますが、こちらも海の中に沈んでいる場所もあり、本当に復興出来るのか 
気の遠くなる工事です。



雄勝そのまま、海岸にそって進むと、同じ女川の雄勝地区に出ます。ここでもテレビで見た、 ビルの上のバスがそのままになっています。学校も殆どが被災しており、今どういう状態になっているのか、勿論情報もありませんので解りませんが、市街地は、店も無く見かける人は殆ど居らず壊滅的な状態です。




大川小学校 この雄勝から、少し山の中に入り、北上川を渡り南三陸へ入る橋のある場所まで移動しましたが、この橋が通行禁止になっており、近くに橋も見当たらない事から、地図でルートを探していましたが、ふと顔を上げると偶然にも、全校生徒の8割が津波で亡くなった大川小学校の前でした。河口から4kmあるそうですが、この川の静かで豊かな流れを見ていると、とても津波が押し寄せたとは思えない情景です。
見ているだけで胸が苦しくなります。結局そのまま北上川を上流に移動し、三陸道まで戻り津山IC経由で南三陸に入りました。



志津川LC 今回は、春日井ライオンズクラブの戸松会長からの依頼で、我々が何をどう支援できるか、また、
東海、東南海地震に備えるため何を準備したら良いのかお聞きするために、三陸志津川ライオンズのメンバーとの懇談会を及川さんにお願いしてありました。場所は、宿泊先のホテル観洋のカラオケルームをお借りしました。写真は仕事のご都合で参加出来なかった会長の代行として昨年度の三役の及川さんにドネーションをお渡した場面です。福興市の山内実行委員長や防災あさいちネットワークコーディネーターの藤村さんも参加してくいただき、被災した当日の様子や復興の現状、またこの経験をまちづくりにどう活かすのか、またライオンズクラブのネットワークがどう活かされたのかなど、約一時間という短い時間でしたが内容の濃いお話を伺う事が出来ました。何かとお忙しいところ駆けつけてくれた志津川ライオンズのメンバーの方々には本当に感謝いたします。また、藤村さんには宿泊した部屋にお越しいただき深夜一時半過ぎまで色んなお話を伺いました。本当に感謝です。



福興市 さて、翌日28日は第5回福興市です。今回はベイサイドアリーナ横のグランドの開催、7時半には会場入りしましたが、すでに沢山のスタッフや出展者が準備をしていました。この部分は商店街連合会での出店ですので、私と帯同してくれた青山くんの二人で準備です。残りのライオンズのメンバーは福興市を視察後気仙沼の視察に出かけました。気仙沼も大変な状況だったようです。



福興市福興市の会場には、全国から集まった商店街の仲間や、今回は地元の出店者も多く大変な活気です。春日井からは美濃屋さん、ふくさ屋さん、川辺製麺さん、後藤サボテンさん、めるたんさんに無償で提供して頂いた商品とサボテンラーメンを持参。全て完売し売上金も全額支援金としてお渡ししてきました。中には、ご子息が高校で剣道をしておられ、「今年、春日井に行くことになっていた」と残念そうに話をしていかれたお母さんや、名古屋市知多市出身の方も居られ、懐かしいそうに話をしていかれました。



台湾仏教界会場のベイサイドアリーナでは、台湾の仏教会が被災者の皆さんに支援金を渡している場面も見られました。金額は不明ですが、被災証明を見せると頂けるそうで、長蛇の列が出来ていました。国を超えての支援には感謝の一言しかありません。この福興市は全国からいろんな人や団体が支援しています。今回は関取の把瑠都が所属する尾上部屋がちゃんこ鍋を100円で販売したり、
我々は販売が忙しく見に行く暇はありませんでしたが、歌手の菊池寛さん(彼は小牧出身だそうですが)や、青葉城恋歌のさとう宗幸さんが来て歌っていました。また、早稲田の安井さんも東京からツアーを組んで昼前に到着。相変わらずの人脈を発揮していました。



志津川LC事務局 帰りの飛行機の時間も気になりましたので午後3時の終了を待たず少し前に撤収。皆さんに挨拶を済ませ、ライオンズの事務局がLCIFから贈られたという事務局を視察してきました。山の中の、しかもラブホテルの裏側(笑)という好立地にありましたが、今回の被災地へ贈られたのはこのハウスだけだそうです。毎年何万ドルという基金を日本のクラブから拠出しているにも関わらず話を聞いてびっくりしました。しかし、色んなクラブから支援の申し出があるようで、結局は、ライオンズクラブと言えども人と人の繋がりが大切という事かもしれません。



おさかな通り商店街 途中、かつておさかな通り商店街のあった場所に寄ってきましたが、ここでも地盤が沈下しているために海水が溢れています。以前は両側に店舗や水産会社が立ち並ぶ観光地としても賑やかだった商店街ですが、ご覧の様に何も残っていません。しかし、及川さんを中心に30店舗の商店街を別の場所で再生する話が進んでいるようです。山内さんの水産会社は、工業団地内に先日オープンしました。徐々にですが、復興への話も聞けるようになりました。10月の春日井まつりには、おさかな通り商店街の8つの店舗から商品を仕入れ販売する話もまとめてきました。我々は大きなお金は出せませんが、同じ商店街の仲間として、全国の商店街と協働してこの商店街の復興に力が貸せれば幸いです。今回は長文になりました。最後までお読みいただき感謝いたします。