かちがわ通信

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9月弘法塾

朝晩一気に涼しいを通り越して寒さも感じる気候になりました。昨年の今頃はまだまだ夏の暑さが続いていただけに、やっと平年の気候に戻ったような気がします。しかし、このところ異常気象とも言われますが、よく考えてみれば異常は人間社会の方で、自然界はあくまで自然。地球からみれば人間は、体を蝕むがん細胞の様なものなんでしょう。この事に気づかない人間の罪深さはどうしようもありません。
さて、今日の午後開催の9月弘法塾(第4回中部ESD白熱教室)は、7月と同様岐阜NPOセンターの駒宮先生を講師に、3・11以後の社会を「脱成長・共愉」の時代と定義し、幸せの根源を「人と人」「人と自然」「世代間の関係性」が良好であることとイコールとして考える人が増えている点を中心に開催されました。
仕事の関係で、30分ほど遅刻し、途中仕事の電話も入りますので、話の内容も途切れ途切れになってしまいましたが、後半の部分で、それぞれの幸せを感じる瞬間を尋ねられました。先生は、これを「人と人」「人と自然」「世代間」「その他」と分類されましたが、大方の人が「人と人」の部分で幸せを感じるという結果には少し驚きました。というのも、私は、団塊世代の直ぐ後ろでは「瑠璃色世代」<
昭和25年から昭和29年生れ>とも言われていた世代です。「瑠璃も針も照らせば光る」というあの瑠璃です。テレビでは「隣の車が小さく見えます」という日産サニーのCMが流され、兎に角、人より良い生活がイコール幸せの追求とされた時代に育ちました。従って、ある意味「物」が無かったからこそ「物」へのあこがれも大きく、青春時代には70年安保で安保反対の声が溢れ、三島由紀夫の割腹自殺、翌年には浅間山荘事件と不安定な時代であったことも影響しているのかもしれませんし、「衣食足りて礼節を知る」ではありませんが、足りていない事が「悪」の根源の様な考え方をしています。
従って、「欲」ではない部分で、人が幸せを感じる、例えば幸せな人を見て幸せを感じる等という部分は、頭では理解できても体が付いていけないような気がしました。もっとも欲は限りがありませんので「足るを知る」事は本当に大切です。皆さんの話を聞きながら「忙しさに幸せを感じている」自分の不健全さが身にしみました。
今日もこんな話で大いに盛り上がりましたが、しかし、駒宮先生の知識に裏付けされた話や進め方は、何度聞いても本当に素晴らしいですね。尊敬に値します。次回は、私がコーディネートする事になっていますが、さて、どうなるんでしょうね。