かちがわ通信

春日井市勝川発のまちづくり情報発信中!! 自立分散型、みんなでやらないまちづくりに取り組んでます

長田商店街の現状

昨日のサミットの分科会で神戸市長田区大正筋商店街の伊東さんとご一緒させてもらいました。長田界隈は17年前の阪神淡路大震災で一番被害が大きかったところですが、震災後、このサミットを通じて何回かお会いし、特に志津川大会では、2次会でじっくりお話をさせてもらい、翌年の春日井大会で震災関係の分科会のパネラーとしてお越しいただきました。今回の東日本大震災では自身の被災経験を是非伝えたいと、特に南三陸へは震災直後から足を運ばれています。

久しぶりの再会に話も弾みますが「最近如何ですか」と聞いてみると、次のような驚くべき答えが返ってきました。
「この長田は震災前は坪300万した場所。震災ですべて焼け野原になったけど、その2ヶ月後に行政が再開発事業の網を被せたため、自分達で再開することが出来ず長いあいだ仮設店舗で営業を続けてきた。しかし、再開発事業が進むと、我々の固定資産は、新しい再開発ビルの権利床として権利変換され、地元で何とか事業を再開したいという店舗は、高度貸金を借りてこのビルに移転し再開していったが、行政がテナントが埋まらないままオープンさせたため、更に借り手がつかず歯抜けのビルが次々と誕生。結局、全ての再開発事業の計画が終わらないまま10年で手を引いてしまい、後は民間に丸投げされた」そうです。
この震災から17年が経過し、殆どの地区が震災前の人口を上回っているにも関わらずこの長田区だけは、未だに戻らないようです。つい先日も、お仲間の店舗が「1千万の自己資金で、5千万の高度化資金の融資を受け再開したが、返済が始まると営業が続けられずに廃業、店舗が売りに出されたが1500万の値しか付かなかった。それも買ったのは不動産業者で更に他の不動産業者に1300万で転売された」そうです。行政は最初に権利変換された坪300万で評価し、固定資産税を課税してくるので、どうにもならないとも・・・全国の皆さんの励ましで頑張っては見たものの17年経って残ったのは借金だけだそうです。東日本大震災でも、実は私が聞く範囲でこの様な計画が進んでいる場所があります。東京のコンサルやゼネコンが夢のような絵を描き提案していますが、こういう言い方は語弊があるかもしれませんが、震災前はどこも東北ののどかな漁村だった場所が殆どです。ここに大型のSCや観光施設を配しても、立ち行かなるのは時間の問題。伊東さんは、自身の経験から、将来に亘っての負担を考え、新しい街は行政が持ち、これを借りる形で営業を始めるべきと話をしてくれました。ルミナリエ鉄人28号のモニュメントなど観光客は来るけど地元の店で買わない。コンビニでドリンクを書い写真を撮って帰るだけ。地元の商店主はこの人の整理や後片付けに翻弄される毎日だとも言っていました。
 
また、笑えない話をもう一つ。震災後歌手の五木ひろしさんが、歌で励まそうと声をかけてくれたんですが、全て焼失し場所が無かったので、焼け跡をローラーで馴らしたところ、行政から怪我をしたら責任問題とクレームがついたそうです。また消防からは沢山の人が集まる場所には消火器をと指導が・・「全て焼けた跡に消火器でっせ」と、日本のお役所体質を嘆いていました。
新しいビルが立ち、一見復興への足取りを感じる神戸でも裏側に隠れた問題は本当に大きいと感じますし、もっとマスコミが注目しても良いのではと感じます。 最後に伊東さんが「阪神淡路はポケベルの時代。あの時、今のようなネットの時代だったらもっと支援が受けられたのに・・」と仲間だからこそ言える本音を聞きました。我々も東海・東南海地震が、また東京では首都直下型地震も必ず来ると予想されています。もちろん災害には備えなければなりませんが、むしろこういった行政からの二次災害をどう考えるのか、多分この問題を真剣に考えているのは、彼ら被災地の人たちかもしれません。一緒に聞いていた同じ兵庫県で水害のあった佐用町の千種君も大きく頷いていました。