かちがわ通信

春日井市勝川発のまちづくり情報発信中!! 自立分散型、みんなでやらないまちづくりに取り組んでます

春日井経営塾 番外編

当日は時間の関係で話をしませんでしたが、勝川のまちづくりを支えた勝川駅周辺まちづくり協議会と再生委員会、株式会社サンエニーズについて書いておきます。

1)勝川駅前地区まちづくり協議会(現、勝川駅周辺まちづくり協議会)

6fb966e5.JPG勝川まちづくり協議会は昭和62年、駅周辺総合整備計画が出来た年に発足します。再開発、区画整理の各事業が各街区の権利者を中心に進められる事に対し、開発地周辺の商業者や住民との調整が必要なことから、勝川区、松新区、柏井区の区長、町内会長に勝川地区三商店街(勝川本通り、駅東商店街振興組合、駅西発展会)更に地元市議、市役所(勝川整備室)商工会議所で組織されました。特に印象に残っている活動は駅から商店街に繋がるペデストリアンデッキ(以下デッキ)の位置づけです。
このデッキは、当初公安委員会から県道勝川内津線(以下県道)にある3つの信号の間隔が狭いため、中央の信号を撤去しデッキで歩行者の導線を確保する案が提案示されていました。これを受けて行政は商店街から県道に出る部分を公園にし商店街を南下する車両は直前で右折させ勝川交番の横に出るよう計画を作りました。しかし、商店街の機能が損なわれる点と県道に中央分離帯が出来る案だったため商店街としては駅と分断されてしまうと大反対。その後、勝川駅に乗り入れる城北線が中央線の上り下りのホームの間に入ることになり、一旦下り線の下を潜ってホームに入ることからこの勾配を確保するため駅舎が東に移動することが判明し結論から言うと改札口を出来るだけ西側に設置し、駅から伸びるデッキを一旦以前の位置まで振りそこから商店街へ繋ぐ案で決着しました。また、計画されていた公園を中止することで平面での駅への導線を確保し信号は残ることになりますが、こういった課題を解決し、まちづくりの推進役になってきたのがこの協議会です。
その他、道路計画や地域の安心安全を守るため消費者金融風俗営業には店舗を貸さない取り決めなど、現在はこれに地権者法人が加わり開発が終わった今でも取り組みが続けられています。

2)再生委員会と株式会社サンエニーズ


平成元年区画整理の仮換地指定が行われましたが不服の申し出から裁判となり、また、平成2年再開発準備組合が発足しますが、こちらも当初計画された保留床にテナント(大手量販店等)を誘致し事業を構築するスキームが極めて困難な状況が続き、勝川駅周辺の総合整備計画の骨格をなす2つの事業がいずれも閉塞状態に陥ります。そこで平成11年、勝川駅周辺の若手経営者が中心となって、現在進行中の再開発を根本的に見直し一日も早い再開発の実現に向けて行動を起こすことになりました。これが再生委員会です。例えば今ある計画を15~20年先送りし、区画整理を先行させる中から実現可能な再開発を念頭におき商店街と一体となった“オープンマーケット方式”の街を提案しました。結果的には実現しませんでしたが、身の丈にあった計画を提案でき硬直化したスキームに風穴を開けその後事業は前に進み出します。

6def9012.JPGこの再生委員会のメンバーは平成5年ルネックが開業した年、当時の勝川駅前商店街青年部で設立した株式会社サンエニーズの出資者が中心となります。この会社はルネック4Fの出店者が決まらず行政から頼まれ設立した会社で、伊勢に本部のあるUSマートのFCとして100円ショップを開店しますが、一人100万円の出資で10人その他50万円と20万円の出資者が各一人でした。約3年後ルネックを撤退すると、商店街中程でメインキャストアカデミーを運営、また、勝川駅前市場が閉鎖になり、再開発事業までの繋ぎでテナントを募集しこの建物を運用しますが、再開発事業が決まるとその役割を終え出資金を各人に返還し平成17年に解散することになります。