かちがわ通信

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6回目の東北でした

6小雨が降る県営名古屋空港を後にして、27日・28日の二日間の予定で南三陸へ行ってきました。今回はFDAで花巻まで飛び、被災地を視察しながら現地に入るルートです。今回で6回目ですが、このルートが一番安く早いようです。




map 花巻空港に朝8時半到着。飛行機から見た花巻は一面雪化粧・・・しかし、道路はすっかり除雪され走行には全く問題なし。早速最初の目的地釜石に向かいました。途中休憩を挟みながら2時間弱、新日鉄釜石工場やラグビーの街として有名な釜石に到着しました。思ったより建物が残っており場所によって被害の形が変わっているのを実感しました。その後大船渡に移動。海岸線の国道は雪も全く見かけず、同じ東北でも随分様子が違います。




IMG_2479約一時間で大船渡です。商工会議所があった周辺に到着しその後復興屋台村に伺いました。このアーチにはライオンズのマークが貼ってあり多分寄贈されたんでしょうね。あらかじめ調べておいた鮨、季節料理のささきさんで昼食。店主の佐々木さんは東京で修行し、晴れて故郷で店舗を構え5ヶ月で被災。この復興屋台村に店舗を構えたそうです。10人も入ると一杯のカウンター席ですが、空き待ちのお客さんが外に並びます。大船渡も被災した場所と被災しなかった場所があり特に警察などの行政機能の建物が残っていたのが印象的でした。復興には司令塔になる場所があるかないかは大きな要素なのかもしれません。


IMG_2487大船渡から気仙沼市までは約30分。今回で2回目ですが第18共徳丸もそのままになっており、このまま残されるのかもしれませんね。多分賛否両論あるとは思いますが、南三陸の防災庁舎同様、復興へのシンボルとして個人的には残したほうが良いと思います。また、港へも行きましたが、周辺の建物の解体工事が進行中でした。復興商店街にも伺いましたが、シーズンオフで平日の中日ですから人も開いている店も少しでした。でも街全体では行き交う人も車も多く活気も感じます。


IMG_2482陸前高田の旧市役所です。前回は建物がそのままになっていましたが解体工事が進んでいます。釜石、大船渡と違う点は、街全体が全て流された点。高台から見ると広大な平原が広がっています。昨年10月に来た時は、まだ建物が残っていましたが、今は殆どが撤去されています。例の一本松も、代替の木が植えられるとは聞きましたが、これも悲しみの象徴ではあるんでしょうが、残されることは大切だと思います。


IMG_2509さて、その後、時折覗く太平洋を見ながら南三陸入谷地区の伊里前の復興商店街に寄り志津川へ向かいます。峠では向こうから道路を入っている大きな鹿にも遭遇しビックリしましたが予定通り約一時間で到着しました。今回は始めて訪れる人が一緒でしたので、街の中を車で案内しながら、さんさん商店街に・・まずは土産を送るため及川さんの店に行きましたが、丁度仕事で来られていた及川さんにバッタリ、また、パン屋の阿部さん、写真店の佐藤さん、衣料のアベロクさんの店にも伺い挨拶をしてきました。皆さん元気で商売をされています。


IMG_2489その後、ホテル観洋にチェックインを済ませ、食事をするために再び商店街の「はしもと」さんへ。山内さんやライオンズのメンバーも数名集まってくれ懇親会です。どうしても震災の話に集中しますが、100人いれば100通りのドラマがあります。震災から約2年が経過し今となってはお互い笑って話をされていますが、横で聞きながら思うのは震災当時の悲惨な状況にも関わらず本当に人間って強いなと改めて感じました。


IMG_2494翌朝の志津川湾の日の出です。三陸特有のリアス海岸に島々が点在し本当に美しい海です。来る度に湾に浮かぶ定置網や養殖の筏が増えていますので、徐々に漁業も復興しているのかもしれません、昨夜も「海の敵は海でしか取れない」という話が出ていましたが、やはりこの海を活かして生きていくのがこの沿岸部の宿命なんでしょうね。ただ、どうも県内の漁協が一本化されるようで、わかめや牡蠣など目の前で取れた海産物も漁協に収められ自分たちで自由に販売とは行かないとの事。「こんなやり方はダメだ」と語気を荒げる話も聞かれました。また、船を無くした漁師が共同で漁に出るそうですが、水揚げも等分されるので不満の声も聞かれ始めたようですが、遠くから見ているだけでは分からない問題も沢山あるようです。(つづく)