かちがわ通信

春日井市勝川発のまちづくり情報発信中!! 自立分散型、みんなでやらないまちづくりに取り組んでます

6回目の東北でしたVOL2

 今回の訪問は、震災直後春日井LCからなんでも帳を寄贈した南三陸志津川中学に、今春入学する生徒さんのカバンを寄贈する打ち合わせを菅原校長先生とするためですが、約束の10時半まで時間があったので、及川さんが「水野さん、今まで何回も来てくれたけど南三陸の観光はしていないでしょう。今回は時間があるので案内しますよ」と言っていただき言葉に甘えることにしました。
朝、8時半、ホテルのロビーで待ち合わせ、我々の乗ってきたレンタカーに同乗してもらい、まず被害の大きかった戸倉地区に向かいました。途中ガレキの処理施設の前を通りましたが、南三陸町からすっかり姿を消していたガレキが全て集められ分別、粉砕し、更に放射能を水で洗って再利用されるとのこと。場内は立ち入り禁止になっていて及川さんでも町に申請を出さないと中に入れないそうです。
この処理施設を過ぎるとすぐ横の高台にあるのが戸倉中学の校舎です。この中学校は校舎が津波の被害に遭っていますが、たまたま及川さんの従姉妹がここの教諭をされており、間借りされている志津川中学校で当時の話を伺うことが出来ました。当初、この学校の避難経路は裏山の神社となっていたそうですが、ある先生が津波の大きさを見て、ここではダメだと瞬間判断され裏山の神社から、さらに上の山まで全員腰まで水に浸かりながら逃げ生徒全員難を逃れたそうです。ただ途中一人の生徒が流され、先生が手を伸ばしたんですが30cm足らずこの子供は流されたそうですが、たまたま大変泳ぎの達者な子供で、自力で泳いで助かったそうです。今は冗談で「先生の手が足らなかったよ」と言うそうですが、逆に手が届いていたら一緒に流されていたかもしれないと話をされていました。

IMG_2498この戸倉中学校から、いくつかの浜を越えて南に下りましたが、小さな浜は殆ど壊滅状態で悲惨な光景が続きます。そして連れて行って頂いた先は、南三陸国定公園の名勝「神割崎」という場所でした、志津川湾の突端です。ここはオートキャンプ地にもなっていて震災前は沢山の人で賑わった場所だそうです。崖の下へ階段を下りていくと神様が割ったという切れ目が姿を現し、打ち寄せる波がうねりになっています。また、ここには恋人岬や待つ妻岬など眺めの良いポイントも沢山ありこちらも案内してもらいました。ただ、この場所も震災以後施設も、近くに避難所があるためか閉鎖されたままになっており、沢山の人が亡くなったためか釣り人も姿を消しているようです。しかし、今回初めてゆっくりと案内してもらいましたが、改めて三陸の恵まれた自然を感じることが出来ました。

さて、時間になり、志津川中学校に向かいました。本来私の年度は7月からですが、先日及川さんに「何か必要なものがあれば」と打診をお願いしたら、校長先生から「震災が無ければ100名を超える入学予定数が60名になってしまい、新入生は何かと物入りなので、この子供たちに通学用のカバンを贈って頂ければありがたいのですが」と返答があり、早速クラブの理事会に提案したところ次年度の事業を前倒す形ならという了解を得ましたので今回お邪魔をさせていただき打ち合わせをしました。最終的には今年と来春入学する子供たちにカバンを贈ることになりそうですが、帰りに校長先生が自費出版した震災直後からの様子を纏めた本と生徒が纏めた生徒会誌を頂戴してきました。少し読ませてもらいましたが、当日の様子が目に浮かび思わず涙が出てきます。


IMG_2510その後、波多の明翆さんも同行していましたので、校長先生に全国からの寄せ書きを手渡し、さらに志津川中学校の一階に間借りされている戸倉中学校の校長先生にもにも同様に手渡すことが出来ました。また、さんさん商店街でも組合長の及川さんにも手渡すことができ、ここまでが私の役割と思っていましたので一安心。昼食もご一緒させていただき帰宅の途に着きましたが、花巻までの途中で及川さんが登米市に作った新工場も見学させてもらい、何から何まですっかりお世話になった今回の訪問でした。