かちがわ通信

春日井市勝川発のまちづくり情報発信中!! 自立分散型、みんなでやらないまちづくりに取り組んでます

2度目の3.11

昆野さん 東日本大震災の発生から2度目の3.11を迎えました。被災地各地を初め全国では追悼の行事が行われていますが、この2年という月日が長かったのか短かったのか、自分自身よくわからないというのが実感です。被災地では、今なお行方の分からない多数の方が見えます。さらには避難所生活を余儀なくされている方も三〇万人以上とか・・この方たちにとっては、まだまだ、災害が続いていると感じるのは当然だと思います。

さて、震災発生時はまちづくり協議会の会合を終え、ルネック7Fの喫茶店にいましたが、阪神の時と同じ、遠くで大きな地震を直感させる長く大きい揺れを感じ、慌てて店に帰りPCやテレビで情報を集めた記憶があります。テレビでは仙台空港の映像が最初だったような気がしますが、それでも、まさかあのような巨大津波三陸沿岸部を襲っていたなど知る由もありません。しかし、夕方から夜になって次々と飛び込む凄惨な映像に愕然とし、次の日になって商店街ネットワークのMLで、仲間の南三陸町も被災し連絡が取れないという情報が入ってきました。その後、商店街や市民に呼びかけ募金活動や支援物資を送る準備に取り掛かりましたが、全容が何となく理解できたのは暫らく経ってからだったような気がします。今回のようにこれだけの広範囲が被災し、どこをどう支援すれば分からず取り敢えず日赤の支援募金に駆け込んだ人も多かったように思いますが、支援のミスマッチや募金の行方がよく分からず、2年が経過しても、我々の気持ちが被災者に届いたのかよくわからない部分があります。

先日、南三陸で話を聞いていましたが、「商店街の仲間の支援は本当にピンポイントで有難かった」という話が出ていました。これは商店街がどうという話ではなく、人と人がキチンと繋がり、被災地の要望が我々に届いていたということではないでしょうか。震災直後の5月福興市に伺った時も、残ったチャーシューを避難所に差し入れしましたが、体育館の中には、カップラーメンと缶飲料の箱が山積みされていました。 また、Lサイズの下着、アルコール消毒液、野菜・肉等が不足していたにも関わらず、町のホームページには記載がありませんでした。今日の昼開催された会議所の委員会でもBCPの話が出ていましたが、いくら地方の都市や企業と災害協定を結んでも、日頃のお付き合いがなければイザと言うとき役に立たないと話をさせてもらったのはこういう話が背景にあるからです。
やはり、しっかりと災害現場を見て、話を聞き、必ず来る東海、東南海地震に備えることは、むしろ義務のような気がします。1.17&3.11・・・多くの犠牲になられた方の無念さを思うとき、我々の果たすべき役割は決して小さくはないような気がします。