かちがわ通信

春日井市勝川発のまちづくり情報発信中!! 自立分散型、みんなでやらないまちづくりに取り組んでます

勝川駅周辺「NEXT50」

昨年末、JR中央線勝川駅へ繋がるデッキ(B橋)が上に上がり、今年の春には完成し勝川駅に繋がる予定になっています。最終的に全体が完成するのは後一年待たなくてはなりませんが、勝川のまちづくりが一段落する今年、過去の50年を振り返り、次の50年へ向けての戦略を考えるには格好の年になりました。その為、昨年末戦略会議の必要性を提案しましたが、一つの指針として考えてください。

勝川駅周辺「NEXT50」戦略会議
<持続可能な街づくりのための仕組みづくりについて>

戦後日本の消費は、高度成長期の3C(カー・クーラー・カラーテレビ)を始め、所有して豊かになることに憧れてきました。しかし、近年では嗜好の多様化が始まり、自分らしさの追及は「モノ」から「コト」へと広がり生活スタイルそのものの変化に及んできています。しかし、全体からみれば好不況を繰り返しながら常に右肩上がりで膨張してきた日本の経済ですが、08年の金融危機に端を発した世界恐慌は、いままで培ってきた概念を根底から覆し「いままでの経験や従来の価値観ではうまくいかない」事を再認識させました。そういう意味では、今回の不況を「単なる不況」ととらえるのではなく、人口の減少とともに今後さらに凝縮していくと思われる社会を背景にした、環境、消費、労働、情報、格差、安全など、いままでの価値観や生活感をリセットし新しい豊かさを探す大きな端境期でもあるとも考えられます。

さて、勝川駅周辺のまちづくりは戦後間もない昭和20年代の後半に駅前広場の大きさが決められ、以後昭和60年代の前半まで紆余曲折を繰り返し考えられてきました。今回の区画整理および再開発事業は昭和62年に策定された勝川駅周辺総合整備計画に基づくものですが、これとて実現までには20数年の月日と膨大な事業費(約900億円)が費やされています。(詳細は「勝川商店街史」「勝川・松新再開発事業史」参照)しかし、言ってみれば一連の開発行為は、右肩上がりの社会情勢を背景とし「豊かさ」と「便利さ」を追求する事が目的であり、出来あがった街をさらに発展維持していくには、住民の視点に立った新しい価値観でのまちづくりが急務だと考えています。

イベント(弘法市)を開催すれば人は集まります。しかし、次の日は閑散としてしまう現状は、何か商業者には見えていない理由があるのではないでしょうか。街に来る理由がないとすれば、逆に「何があれば街に来るのか」理由づくりから考えるのも一つの方法です。商店街は地域コミュニティの担い手という認識を「人」「もの」の面から一層明確にする必要を感じます。また「カネ」の部分では、今まで会費(組合費)を原資に、行政からの補助金を充てにしながらまち(商店街)づくりをしてきましたが、経済の低迷もあり、これらだけに頼ったまちの運営はいずれ破綻せざるを得ず、まちづくりのコストを維持する新たな財源の創設が必要になってきます。

以上の観点から区画整理、再開発事業がひと段落した「今」から、次の50年、100年先の勝川駅周辺のまちづくりを戦略的に考える会議の存在が必要だと考え、これらのシンクタンクおよびパートナーとして地元中部大学をはじめとする他地域、団体との連携は不可欠で、中部ESD協議会さらにCOP10(生物多様性条約締結国会議)での一翼を担いながら、様々な人が憩い、集い、商い、生活していける持続可能な地域づくりを実現したいと思います。