かちがわ通信

春日井市勝川発のまちづくり情報発信中!! 自立分散型、みんなでやらないまちづくりに取り組んでます

創業111年の歴史

今日明日の二日間開催する創業111周年記念イベントですが、台風の影響で時折強い風が吹く荒天にも関わらず沢山のお客さんに来ていただき、本当に有難いと思っています。例年は、5月末に開催するこのイベントですが、今年は震災の関係でこの時期に延期して開催する事にしました。
さて、111年前と言えば国鉄中央線が、名古屋・多治見間で開通した明治33年ですが、勝川口の住吉屋で奉公していた初代徳次郎が住吉屋の当主から、駅前の土地を分けてもらい、下街道を行き来する商人や人夫相手に開業したのが始まりで、勝川天神社の前にあった地蔵ケ池(現:勝川グランド)や庄内川でとれた川魚を調理して出していたそうです。春日井市史には第三編産業 第4章商業の項目で「・・勝川の水徳は、開業前は農業をしており、農業と兼業の形で街道を通る人に昼弁当のおかずを販売していた。この頃の通行人は、行商人、農家の人、亜炭を運ぶ馬方、守山騎兵連隊の兵隊などで、昼食時には、荷車、荷馬車が一丁も並んでいた事があったという」と記されています。

このめしやは大正末期まで続きますが、昭和の時代になり、広間を併設した店舗を新築、戦後まで宴会などを行う料理店として営業していました。その後、父が勝川周辺の仲間5人で始めた結婚式場「若草園」(現:餅彦辺り)が、昭和40年代後半、今の文化フォーラムの場所にあった産業会館に移転したのを機に、公営の春日井市民結婚式場となり、
春日井市勤労福祉会館へ移ってからも営業を受託してきました。この施設は平成2年宿泊棟が完成しグリーンパレス春日井と名前を変えますが、同18年に市民結婚式場が閉鎖されるまで約50年に亘りこの業務を続けた事になります。
この間、本店は寿司店と仕出し店として営業を続け、
昭和54年、春日井西武(現;リヴィン春日井)地階に惣菜とうなぎの店を開店しますが、ご案内の様に勝川駅前の区画整理、再開発事業の関係で、平成14年に現在の八光町に移転し現在に至っています。大きな挑戦もせず地域密着で刻んできた歴史ですが、目の前にある仕事を愚直に続けられた事がここまで来れた要因かもしれません。ご先祖や地域の皆様に本当に感謝しなくてはと思っています。