かちがわ通信

春日井市勝川発のまちづくり情報発信中!! 自立分散型、みんなでやらないまちづくりに取り組んでます

笠原モザイクタイルミュージアム

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毎月第四火曜日は定休日。本来なら連休だったんですが、2日とも会議と仕事が入り、せめてもという事で小牧のレストラン大蔵さんでステーキランチ!普段は宴会に使うというお座敷でゆっくりすることができ感謝です。その後小牧ICから高速で多治見に移動し約一時間、以前から気になっていた笠原町のモザイクタイルミュージアムです。f:id:t-mizuno:20200827190333j:plain

笠原町は平成18年に多治見市に合併される前は土岐郡笠原町、全国でも珍しかった一郡一町でした。その名残かこのミュージアムに隣接する旧庁舎には商工会の看板が。本来なら多治見商工会議所笠原分所なんでしょうが、HPを見ると全国商工会連合会に加盟していますので、ココだけは別の運営がされているのかもしれません。タイルという地場産業が盛んですので、むしろ多治見市に合併しなくても良かったかも。笠原には女房の親戚筋がいますので馴染みの場所ですが、当時はそういう話も出ていたようです。

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さて、この東濃地方のタイルの生産量は、戦後~40年代名古屋港の工業製品出荷額が自動車を押さえて2番だったくらい盛んで、当時は約120社のタイル工場があったようです(現在は約25社)館内のコンシェルジェと書かれたデスクにおられたご年配の学芸員と話をすることが出来ました。タイル自体は欧州からシルクロードを経由して日本に伝わったそうですが、笠原では山内さんという方が生産を始められ、景気が良かったところから、元々美濃焼の伝統と技術があった周囲の窯が「茶碗を作るより儲かる」という事で、一気に広まったと話されていました。さらに、ミュージアムの中を見学していたら笠原のタイルの歴史が表示している年表があり目をやると戦後真っ先に創業された松田製陶所の名前を見つけました。何と中学高校の同級生の実家です。多治見の虎渓山の下(今のユニー周辺だった記憶が・・)に工場と住まいがあり学生時代に、仲間と何度か遊びに行った思い出があります。当時は松田タイルと名称が変わっていましたが、全国屈指の生産量と貿易で儲けていたようです。この多治見での生産が笠原に飛び火し今に至っていると先ほどの学芸員の方から教えてもらいました。その時々の浮き沈みを乗り越え今があることを考えると昔の様子が思い出され胸が熱くなります。良い体験でした。