かちがわ通信

春日井市勝川発のまちづくり情報発信中!! 自立分散型、みんなでやらないまちづくりに取り組んでます

やっとここまで来ました

8月初旬に開催された第一回春日井市公共交通会議以来、2度の幹事会を経て、本日の会議で、やっと、全ての協議を済ませることが出来、運輸局に路線の申請をする事ができるようになりました。各方面からのご支援、ご指導の賜物と心から感謝いたします。また、終了後の打ち合わせの結果、12月22日(月)より運行することも決定し、これからは運行開始に向けて様々な準備に入ることになります。
ひとつの区切りではありますが、予想される困難は、今まで以上のものがあります。果たして何人の方に乗っていただけるか、広告収入は・・など問題は山積ですが、昨日も書きましたが、極めて社会性の高い事業ですので、頑張っていこうと思っています。
今まで色んな事業やイベントを手掛けてきましたが、山が高ければ高いほど、自分自身の勉強になります。今回は、公共交通という今まで経験のない分野でしたので、戸惑いや不安がありましたが、名古屋大学の加藤先生の「交通を考えるとまちづくりが見えてくる」という言葉を拠り所に、今日まで頑張ってきました。今後は「やって良かった」「勝っちぃがあって良かった」と皆さんから言っていただけるよう努力していきます。また、今夜の商連会の懇親会にも出席させていただき、報告と協力のお願いをさせていただきました。「俺の街はバスが通らないから関係ない」ではなく「春日井の商店街は、大型店の批判だけでなく頑張っているな」と市民から支持されることが、全体の底上げになります。この点をアピールしながら呼びかけていきます。

さて、今日はこの会議の後、午後からはまちづくり勝川の役員会に出席。バスの報告もさせてもらいましたが、前回に続いて再開発組合の清算についての協議も行われました。どうも性格的に「内」に秘めるタイプのせいか、今まで疑問に思っていたことも、溜まっていることも多々ありますが、今日は、この際とばかりに発言をさせてもらいました。時には「口」に出し「毒」を吐く事も必要です。

また、その後、春日井市教育委員会のY先生から「中央線の勝川駅について資料がないか」という、お問い合わせがありお話を伺いましたが、逆に、非常に興味深いお話を聞く事が出来ました。JR中央線が、明治33年(1900年)に開通された事は、知られた話ですが、現在のルートに決定する前に、3つの候補があったようです。ひとつは瀬戸を通り、飯田に抜ける瀬戸ルート、もう一つは小牧を通るルートですが、当時は現在のルート(玉川線と呼んだそうですが)が最有力候補であったにもかかわらず、瀬戸、小牧ルートから強力な誘致要請があったそうです。また、今まで「坂下地区が養蚕業が盛んで、汽車の煙が「蚕」に良くないから、高蔵寺を通ることになった」とか聞いていますが、坂下地区が反対した文章はどこにもないそうです。
さらに、勝川駅の場所も、現在の場所が予定されていたにも関わらず、もう少し西に寄った、現在の太清寺の横に移すよう陳情された文章も見せてもらいました。
この話を聞くと「かつて郡役所があった太清寺付近の中心部を外して、辺鄙な現在の場所に駅を作った」と聞かされていましたが、そうではなく、むしろ、もっと中心に近い場所へと陳情が繰り広げられていたようです。
100年経って、先人の見識には驚かされますが、同時に、どこでこの史実が間違って伝えられたのか疑問も湧いてきます。今後、さらに研究を進めるそうですが、来年の2月には市役所のロビーで、この企画展を開催するそうなので、是非、じっくりこの目で確かめたいと思っています。784