かちがわ通信

春日井市勝川発のまちづくり情報発信中!! 自立分散型、みんなでやらないまちづくりに取り組んでます

私生活主義

日商店街の会合で、ある人の発言から商店街の事業の在り方に言及しました。確かに補助金ありきの事業は、その趣旨が曲がりますし、我々は脱補助金を標榜して弘法市などの事業を構築しています。しかし、残念ながら、すべて自主財源で賄う事は難しく、補助金を受けながら進めているのが現状です。
ここまでは良かったんですが、次の私的な飲み会で、行政や会議所など公共の関与を一切否定し、さらに「市や市会議員、商工会議所には一切世話になっていないので関心がない」「公の行事を何で商店街に持ち込むんだ」「毎日の仕事が忙しく、そんな事をしている時間はない」「自分達でやれる事だけやればいい」という話になりました。酒の席という事もあり、タダ聞くだけに終わってしまいましたが、また、別の話として、大きな不動産を抱え、ここからの収入で生活しているにもかかわらず、驚くほど地域の事に無関心で、その癖周りに文句を言い続けている人がいます。この背景は土地は公共物という概念から外れ「絶対的所有物として自分の土地ならどうしても良い」という考えがあるんでしょうが、再開発を経験すると、所有と使用の分離が如何に大切かを痛感します。

人間が社会的な生き物である事に違いはありません。同様に社会性がない「店」や「商店街」「土地」はその存在価値さえ危うくなってきます。この事が理解できないのには困ったもんですが、今日の中日新聞の社説欄に、日本総合研究所の寺島会長の話として「経済主義と私生活主義の二つの価値観を否定し、自分に合った社会参画をするべきだ」と書いてあります。経済主義は兎も角「他人に干渉したくも されたくもない」という私生活主義のライフスタイルには、残間里江子さんの「それでいいのか蕎麦打ち男」のなかでも「公共とか社会に関わることをためらってきた世代への警告」として指摘しています。こういった背景が、日本の現状を作っているとすれば、商店街といえども、自分達の頭で、地域の生活や問題に積極的に関わっていくことが本当は大切なんでしょうが。

街には色んな人や考え方があってしかるべきだと思います。しかし、無関心と自由は違います。時代は「それぞれに一定の役割があることをもっと認識すべし」と言っているのかもしれません。